2016年2月16日火曜日

“ヒップホップ・ジェネレーション / CAN'T STOP WAN'T STOP”でのDJ KOOL HERKの序文が素晴らし過ぎる!

“ヒップホップ・ジェネレーション / CAN'T STOP WAN'T STOP”(著者 / ジェフ・チャン)の冒頭で書かれてるHIPHOPの生みの親・DJ KOOL HERKの序文が素晴らし過ぎる!

>俺がDJを始めたのは七〇年代初頭。 ただ楽しいからやっていただけだ。俺は人々に選ばれ(ピープルズチョイス)、ス卜リー卜から名を成した。人々に好かれればサポートされる。そうなれば、あとはプレイするだけで人々が寄ってくる。
俺が開いたパーティーは、図らずも大人気を博した。ブ口ンクスの若者が必ず経験する通過儀礼のような場になったのだ。それからさらに若い世代が現われ、俺が始めたことに独自の解釈を加え始めた。俺の描いた青写真に、彼らは建築家のごとく様々なものをつけ加えた。こうしていつの間にか、ヒップホップは発展していったのである。
 俺はDJクール・ハークとして大半の人々に知られている。自己紹介することもあるが、その時には 「仲間内ではハークって呼ばれてる」とだけ言うことにしている。あとで「ハークって、あのハークなのか?」と訊かれるかもしれないが、俺の信条は「あリのままの俺を見てほしい」、ただそれだけだ。俺は自惚れてもないし、皆に対して自分を偽るつもりもない。俺のかける音楽や、俺の催すパーティを気に入ってくれる人がいるならば、 仲間や皆のためにやろうじゃないか。こんな姿勢でずっとやってきた。
 俺にはヒップホップが「ありのままの姿でやって来い」と言っているように思える。俺たちはファミリーだ。セキュリテイや派手で高価なアクセサリー(ブリンブリン)、銃の性能や二〇〇ドルのス二ー力ーなんて話は、ヒップホップの真髄ではない。
お前よりも俺の方が上だとか、俺よりもお前の方が上だとか、そういう話でもない。ヒップホツプとは、お前と俺のこと、人と人とがつながるということなのだ。だからこそ、世界に通用する魅力がある。ヒップホップは、あらゆる場所に住む若者たちに自身の世界を理解する方法を与えてくれた。
ヒップホップはまた、様々な仕事も生み出した。ヒップホップなしでは存在しなかったはずの仕事を新たに作り出したのである。そしてさらに重要なのが、力ルチャーの溝を埋めているということだ。 ヒップホップにより、白人と黒人、ラティー丿にエイジアン、 あらゆる若者が一つになる。彼らはヒップホップを愛することで共通点を持ち、ステレオタイプ、そしてステレオタイプから生まれる憎み合いの気持ちをも乗り越える。
 DJ、ブレイキング、MC、グラフィティと、ヒップホップには四つの要素(エレメント)があるといわれている。しかし俺は、もっと多くの要素ー歩き方、話し方、見た目、コミュニケーションの取り方ーもヒップホップに含まれていると考えている。俺が若い頃にはジェームズ・ブラウンがいたし、公民権運動やブラックパワー・ムーヴメントもあったが、自身をヒップホップ活動家(アクティビスト)と称する者はいなかった。しかし現在、 自分たちの時代について語っているのはヒップホップ活動家である。彼らには、自分たちの時代を自分たちの視点で語る権利があるのだ。
 ヒップホップは今の世代の声だ。七〇年代のブロンクスに育っていない人々のためにもヒップホップは存在し、強大な力となった。ヒップホップには世界中に住むあらゆる国籍の人々を結びつける力がある。
 しかしヒップホップ世代は、自身の評価や立場を最大限に活用していない。ヒップホップにどれだけのパワーがあるのか、皆は認識できているのだろうか? ヒップホップ世代は団結して態度を明確にし、意見を述べることもできる。ポジティヴなことをやっている人はたくさんいるし、本来あるべき姿のヒップホップを体現している人も数多く存在する。彼らは若者に働きかけ、人々か楽しみながら共生できる世界の可能性を示しているのだ。
 だが、よくあることだが、シーンで最も注目を集めるのは、ネガティヴな面を強調する人々である。 多くの人々は、問題について語るのを恐れているのだろう。「リアルであり続ける(キープ・イット・リアル)」という言い回しは、 単なる流行語になってしまった。 確かに耳ざわりのいい言葉だが、すっかり乱用され、曲解されてしまった。大切なのはリアルであり続けることではなく、正しくやり続けること(キープ・イット・ライト)だというのに。
 ラッパーたちはやたらと「ブリンブリン」したがっている。でも、本当に彼らは贅沢な暮らしをしているのだろうか? ほかに気になる問題はないのだろうか? どんなことに心を動かされるのか? 俺たちがラッパーに語ってもらいたいのは、こういうことなのである。 人々との会話をはじめ、身の回りで起こっている出来事を話してほしい。
 音楽は時に、現実から逃れる薬として使われる。また人々は、悲劇が起こった時にしか話し合おうとしない。トゥパックやビギー、ジャム・ マスター・ジェイが死んだ時、人々は対話を求めたが、それでは遅すぎた。ヒップホップを使って深刻な問題に取リ組み、悲劇が起こる前に状況を変えようと努力する人々は、まだまだ少ない。
 しかし俺たちには、それをやれるだけのパワーがある。ジェイ・Zがシャツの裾を片側だけ出したリ、LL・クール・Jがバンツの裾を片足だけ上げて登場すれば、翌日には皆がそのスタイルを真似する。ということは、ヒップホップ・アーティス卜が「無意味な殺人はもうしない」と公言すれば、皆がそれにしたがうはずだ。
 ラッパーたちに言いたい。「他人の手本(ロール・モデル)になるなんてまっぴら」などという台詞は聞きたくない。そんなことを言っても、俺の息子はラッパーに影響されているのだから。はっきリさせておこう。俺が息子に「そんな歩き方はするな。そんな話し方はダメだ」 と言っても、君がそんな歩き方、そんな話し方をしているのでは元も子もない。ドラッグ ・ディーラーみたいな行動はしないでくれ。
くだらない話はやめろ。そんな振る舞いは逃げにすぎないし、楽な道を選んでいるだけ。子供が見ているのだ。息子を正しく育てるためにも、手を貸してほしい。
 今の君は派手で楽しい生活を送っているかもしれない。しかし、君がゲッ卜ーを脱したということは、必要な時に君を導き、「ほら、二ドルやるよ」と助けてくれた恩人がいるはずだ。ゲッ卜ーを抜け出そうと散々もがいてきたのだろうが、最近ゲッ卜ーに何かしてやったことはあるだろうか? ゲッ卜ーという何もないところに生まれながらも何かを手にした君なのに、なぜいまだに汚いことをやり、ゲッ卜ーを台無しにすることができるのだろう?
 ヒッブホップは楽しむことが肝要。ずっとそうだった。しかし、楽しむと同時に貢任も持たなければならない。ヒップホップを通じて、俺たちには自らの考えを話す場が与えられた。何百万という人々が俺たちを見つめている。パワフルな言葉を聞きたいじゃないか。人々が求めていることを話そう。どうすればコミュニティを助けられるだろうか? 俺たちは何のために戦っているのだろうか? 社会の状況を変えるためにヒップホップ世代が一丸となって投翼したり、自ら組織を設立したら、どんなことが起こるだろうか? きっと大きな影響を与えるに違いない。
 ヒップホップはファミリーだ。つまり、皆で協力し合わなければならない。東西南北ーあらゆる場所からやって来た俺たちだが、起源を辿れば誰もが同じ場所ーアフリ力に行き着く。 この力ルチャーはゲッ卜ーで誕生した。 俺たちはここで生まれ、そして死んでいく。今は生き延びているが、まだ高みに達してはいない。 問題があれば是正しようじゃないか。口だけの偽善者になどなれない。俺たちすべてを一段上のレヴェルへと引き上げながら、「大切なのはリアルであり続けることではなく、正しくやり続けることだ」と常に言い聞かせる。ヒップホップ世代がそんなことを成し遂げてくれればいいと俺は願ってる。

0 件のコメント:

コメントを投稿